mono’s diary

頭使ってないアラサーブログ

梅がうまい

アピールはそんなに大事なのだろうか。

 

日常の仕事、twitterなどのSNS等を眺めているとたまに感じてしまう。

アピールといっても商品アピールのような宣伝のことではなくて、自分の幸せアピールのことだ。

自分の感情を相手に伝えることというのはよくあると思う。

相手に不満があれば伝えることもあるし、称賛することがあれば称える。

そうではなく、「自分幸せです」みたいなアピールだ。

 

別に悪いことではないと思う。

ただそういうアピールがあるとどことなく微妙な気持ちになってしまう。

なぜアピールするんだろうと。

受け取った自分が勝手に感じているだけという可能性もあるのだけれど。

 

なんとなく、幸せアピールって幸せだと認識したいがためにやっているようなものに見えてしまう。

幸せアピールってそんなに大事なんだろうか。

自分の性格が悪いだけなのだろうか。

'89

人口減少、価値観、老後色々な面から結婚および子供が推奨されているように見える。

どの立場でも言いたいことはわかる。

でも当事者としては下の3行を思う。

 

する人はするし、しない人はしない。

できる人はできるし、できない人はできない。

周りを気にせず好きにやれ。

 

結婚しようとしている人、したいけどできない人への支援はわかるけど

自分の価値観だけで勧めるものではないと思う。

いい歳で家族に言われるけど、価値観が多様化してるんだから

画一的なことはできないと思う。

結婚を誘導するんじゃなくて、した際の支援策だろうなと思う。

一人でいること

一人で行動する。

このことを苦手とする人がいる。

 

一人で行動をデフォルメとする生活を歩んできた。

苦ではない。

 

しかしながら、一人の行動を非難する人、非難はしなくとも不思議と思う人が一定するいる。

なぜ一人で行動できるのか。

そのような疑問を抱く人は、おそらく、複数での行動をデフォルメとする生活を歩んできたんだろう。

一人で行動することをデフォルメとしてきた自分と、複数での行動をデフォルメとする人。

 

どちらでもいいことだな、と思う。

一人でもいい。複数でもいい。どちらもありだろう。

 

しかしながら、自分のデフォルメでないといけないとする同調性、排他性が少なからずある。

どちらもありでいいだろうを許さない。

 

どちらでもいい。それでありにしませんか。

自分の価値に人をひれ伏せさせなくてもいいじゃないか。

自分を信じたいところです。

classic

i podのクラシックを愛用している。

数年前に購入したが、大量にデータがいれることができる相棒だ。

2014年頃に販売終了されてしまったそうだ。

大事にしないといけない。

 

時代の流れが早いなと思う。

 

昔がよかったなんていう気もないし、今がいいなんていう気もない。

しかしながら、愛用していたものが変わっていくのは寂しい。

寂しいが、変わらせないのも違うと思う。

 

変わらせないことを守るというのなら、それはどういうことなのかを考えなければならない。

なぜ守らなければならなくなってしまったのか。

 

なんて、i pod classicで思うことでもないか。

そんなことを考えてたら、休みが終わる。

交差点

記念日や重要な日に対することやイベントに対する考え方が最近固まってきた。

本質の尊重である。

私の考えが正しいかはわからないが。

 

例えば、結婚式の二次会をピックアップする。

結婚式の二次会、本質は新郎新婦を祝うこと、新郎新婦のお披露目であろう。

ただ騒ぐだけ、ただの飲み会とするといった本質から離れていることなどを嫌悪するのだ。

 

イベントごとにかこつけて騒ぐ人々が見受けられることが多い。

感情の表現といえるかもしれないが・・・。

騒ぎたいだけではないのか。何か理由を欲しているだけではないか。

私は信じられない。わからないことが理解できない。

 

人は変えられないだろう。

しかしながら、私個人として、本質の尊重を汲んでいきたいと思うこの頃だ。

 

地元発異世界行き

生活のスペースが大体決まっている。

現在の生活はかなりルーティンワークになっている。

生活圏。

ここが僕の世界である。

ほかはマスメディアが異世界を流すだけだ。

 

生活圏を離れるところに異世界がある。

現在生きているところから離れたところ。

近くの異世界がそこにある。

そんな風に感じる。

 

最近、両親が地元近くの昔からある名所を最近めぐっている。

車で30分圏内の異世界。

そういうので異世界を感じて今日記を書いている。

 

そんな異世界はどこでも広がっている。

異世界を見るにつけ、今までの世界の狭さを認識するとともに、異世界の広さを認識する。

異世界というとはおそらく海外のほうがそれっぽいのに当たるのだろうけれど、近くの異世界も見逃せないと近頃思う。

 

地元発見という言葉は正直言って嫌いであるし、観光地も好きではない。

年齢が上がるにつれて、好みがとがってきた。

変に着飾ったものよりも、自然なものが好みに合うんだろう。

 

そんな異世界が近くにあるので

すこし違う道使うとかでも楽しめる。

それぞれの生活が一瞬重なる異世界ってのがなんか今更面白いかもしれないとか思う。

アンティパスト(前菜)

財布を整理していたら、よく言っていた飲み屋さんのクーポンがあった。

4月になってから、収入が減り、飲みに繰り出すことも減ってしまった。

金は天下の回り物というが、周囲を見るとしっかり貯蓄。

同年代はどういう風に貯蓄しているのかが気になる。

お金がらみは聞きにくい。

本当にお金がない。自分が浪費家なんだろうとは思うがそれにしてもどこに金があるのか。

 

知人でもフリーターがおり一緒に何かしようとすると、就職したから金があると思われる。

福利厚生は確かにあるが、使える金が多いかというと、それは違う。福利厚生分ないぞ。

お金のことは正直に言えば話しにくいところ。

本当に僕は金がないんだぞ。

 

なんとなく不満を書いてきたが、立場が違う人への理解ができていないことに気付く。

ほかの人の立場に立つ、言うは易く行うは難し。

一人ひとりで違うから、おそらく難しいのだけど、せめて数少ない知人たちの社会なら立てるかも。

そうなりたい、努めたい、目標としたい。

 

30手前の今さら思ったのだが、なりたい自分というのが大事な気がしてきている。

そのための目的のための目標。

誰かに言われて決めるのではなく、自分で決めていけば。

そういうのが大事なんじゃないかな。

 

時間は勝手に過ぎる。

目的・目標があると時間を楽しんで使えるかもって仮説。

これから検証。とりあえず30になる頃まとめ。

 

勝手に時間は過ぎるんだから、いろいろやってみるのがいい。

そうぼーっと思った。

 

どうすると金がたまるかの仮説も検証したい。

とりあえず、間食やめよう。